第5回日曜サロン

『だまされる! 科学実験の集い』報告

13,18,19回参加和田志保美
千葉大学文学部行動科学科
認知情報科学専攻2年
 

 去る1月10日、クラブルームにて第5回日曜サロンが行われました。参加してくださった10数名と一緒に、「だまされる」実験を沢山行いました。

 まず始めに、司会進行役の平井氏にサクラになってもらい「それでは皆さん、拍手しましょう」と言うところをわざと「握手しましょう」と言ってもらったところ、皆さんきちんと拍手をしてくださった(引っかかった)。

 これは「文脈効果」という現象で、外部から入ってきた新しい情報が周りの状況(既に認知されている状況)にそぐわない場合、外部から入ってきた情報を若干歪める事で周りの状況に合うように行動してしまうことである。ヒトが物事を都合よく歪めてしまう事があるのは、この「文脈効果」が働いているためである。

 引き続き、いかに人が外部から入ってくる情報を歪めて受け止めてしまうことが多々あるかを知ってもらうために、いくつかの実験を行った。それらの実験の中には「文脈効果」のほかにも「錯視(さくし)」と呼ばれるものもいくつか取り入れた。錯視とは、俗に言う「錯覚」のことである。学問的には「錯覚」とは外部状況(正式には「外部刺激」)を歪めて認知する事全般を指し示すものなので、「錯覚」には視覚・聴覚をはじめとする五感全ての歪んだ認知が含まれる。「錯視」とは、「錯覚」の一部にすぎないのである。ここで用いた「錯視」のいくつかを載せておく(図1、図2、図3-ab)。

 今回の実験では「錯視」のほかにも「錯聴」を人工的におこさせる刺激も用いた。なお、今回の実験に用いた「シェパードの無限音階」は、同様のものが以下のホームページで聞くことが出来る。http://www.cc.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/illusion/bangai.html

 

(図1)縦と横はどちらが長いか

 

 これらの「錯覚」を研究する事が、我ら人類の為になどなるものなのか?実はなっているのである。例えば高速道路。首都高(東京都心を走る高速道路)で事故が起きやすい事で有名な“名所”の一つに、「一見平坦な道路に見えるが、実は下り坂」という場所がある。これは、「錯覚」の起きている良い例である。この道路において、何が原因となって錯覚が起きてしまうのかがわかれば事故の原因を改善する事ができるはずである。芸術や建築デザインなどにも応用する事は簡単である。また、これは未来への課題でもあるが、「錯覚」を利用すればクーラーや蛍光燈などなくても快適な暮らしが送れるかもしれない。

 

(図2)どちらの方が長く見えるか

 

 「錯覚」というテーマは、本来は心理学などで取り扱われていたテーマである(現在でも錯覚を取り扱っている心理学者は沢山存在するが)。そもそも心理学とは何であろうか? 心理学は教育学や生物学と共に発達してきた。そのため、心理学の歴史を語るにはそれらの学問の歴史も考慮しなくてはならない。また、私の専攻している認知情報科学では、情報科学や工学にフィードバックする都合上、それらの分野の歴史(ニーズ)にも考慮する必要がある。

 第一次、第二次世界大戦をはさんで、科学技術は高度に成長した。軍隊入隊者を選別するにあたって、体力を測定するためには体力テストがあるように、知能を測定するためのテストとして知能テストが開発されたのもこの頃である。だが、果たして知能テストが『頭の良し悪し』を保証するものであろうか? 知能テストは統計学に基づいて作成されたものである。だが、例えばIQ120の人がn年後も120以上である可能性は(正規分布するので)50%である。同じn年後に同じ人が120を割る可能性も同様に50%である。いずれの確立も等しい。さらに、IQとは精神年齢を実際の年齢で割ったものを100倍した物である。ここでIQ150の80歳の老人がいたとする。この人の精神年齢を求めると120歳であるが、この数字は意味があるであろうか? ヒトの脳は生まれてからある一定年齢までは成長を続け、その後安定した期間が続いた後、高齢になればなるほど劣ってくる場合が一般的である。

 知能テスト以外にも世界大戦の与えた影響は大きい。認知情報科学について語る時、避けて通れないのがナチスである。ホロスコートの際にナチスが行った人体実験は本にまでなったほどだが、戦後まもなくの心理学はナチスの再検証を行った。その中に、『ヒトはどこまで残虐になれるか』という実験がある。これはランダムに選んだ学生をランダムに二つのグループに分けて、片方のグループには囚人を演じてもらい、もう片方は囚人を管理・監督する役を演じてくれるように頼んだ。実験は2週間続ける予定であったが5日目には『どこまででもエスカレートしていくことが出来る』という確信が見られ、ちょうど1週間たったところで『これ以上実験を続けていく事は危険である』との見地から、実験は打ち切られた。そして、この様な実験は『二度とやってはならない実験』に指定されている。二度とやってはならない実験にはこのほかにも沢山存在する。ナチスに関係しない実験であっても二度とやってはならない実験は多数存在する。

(図3-a)一番右の絵は何か

 そもそも人は何故実験をするのであろうか? 実験とは何であろうか? 実験は、ある仮説や定理が正しいということを実証するために行うのである(こういう点では数学の証明も『実験』と呼べるかもしれない)。そして予想が外れた時、更に追加実験をして新しい定理を見つける可能性を秘めている。が、一方で予想以上に悲惨な、むごい結果が生じてしまう場合もあり、そのような時は二度とやってはならない実験に指定される(被験者全員がノイローゼになってしまう実験や、人格破壊が起きてしまう実験、死亡してしまう実験など)。

 現在、認知情報科学を始めとする、ヒトを巡る学問はヒトの可能性を求めて研究している。一方で、工学などではヒト以上の事を機械にやらせようとしている。だが、工学的な研究を行っている人が試作品をやたらに作るわけにはいかないように、ヒトを扱う人は実験台としてヒトを濫用する訳にはいかない。そこで実験動物を利用するのだが、認知情報科学(および心理学や動物行動科学の一分野)ではヒトとヒト以外の動物の差異が大きい事があり、その差異そのものに研究対象が移る事もある。

 人はヒト以上に頭のいい動物がいないと考えがちである。だが、実際に回転図形の認識などをさせる際にはヒトよりも他の動物の方が早いことが多い。認知情報科学では、この様な他の動物の思考パターンをプログラミングすることも目的にしている。もしプログラミングが可能ならば、人工頭脳に組み込むことでヒト以上に賢いアルゴリズムを持った機械が誕生するからだ。機械がヒトを越える、ということは工学的な分野においては憧れである。

 先程も述べたように、認知情報科学はヒトを扱う学問である以上、ヒトの役に立つことや、ヒトのさらなる可能性を探る研究をしている。一方で機械工学などの要望により、必要なフィードバックを返さなければならない。この様な訳で、認知情報科学ではソフト(生き物)を扱っている人とハード(機械などのシステム)を扱っている人とが存在する(ちなみに私はソフトの方なので、今まで書いてきた文章もソフト面からのものである)。ハード面のことを少々述べると、自動翻訳機や、エキスパートシステムの作成、暗号セキュリティーに力を入れている。

 私自身が来年から研究室に入って行うことは、イメージの実験である。イメージはいくつか種類がある。私の最終目標は、「イメージを的確に伝達する方法を確立すること」である。視覚刺激を人に伝えるのにはヴィデオがある。聴覚刺激の伝達にはテープレコーダーがある。味覚はレシピがあるが、これは「食べて酸っぱかった腐ったキウイの味」などをほぼ正確に伝達するものではない。だが、嗅覚刺激と触覚刺激の伝達方法は存在しない(これを言い切るには、「伝達」とは何か、「コミュニケーション」とは何かということをしっかりと定義する必要もあるが)。

(図3-b)一番右の絵は何か

 

 今回の日曜サロンでは時間の制約上、私がやろうとしている分野の話は過去に行われた実験を紹介しただけであった(というほどやっている人が少なく、極最近になって始まった領域である)。

 最後、とりの実験としてLAC(Life Analytic Counseling:日本語訳「生活行動分析的カウンセリング」)を紹介した。これは1985年に当時筑波大学の副学長をなさっていた松原教授が考案した、単純な表(生活行動分析表)を用いることで「誰もが手軽にできるカウンセリング方法」である。私は1991年からLACの改良に取り組み、1998年8月(セミナー直後!)に立正大学にて開かれた第一回LAC学会で過去6年間の業績を公開した一方、認知情報科学的にさらなる改良を加えた最新バージョン「生活行動強化表」の試作品をやりたい方にはやってもらうことにした。この実験結果は99年8月開催予定の第二回学会にて利用させていただく予定である。

 《参加者の感想》

 「(実験が)おもしろかった」「(実験に)だまされた」という反応も沢山ありましたが、「(錯覚などの)認知や心理学がどのように人の役に立っているのかがわかった」という反応が多く見られました。その他には……

などがありました。私自身の感想としては、もう少し心理学以外の話もしたかったなぁと思います。まぁ、その後の新年会も面白かったからいいか(笑)

《参加者一覧》

   青野昌弘、有本克行、飯島康之、幸福裕、小島武仁、坂敏秀、清智也、長坂聡子、平井和也、八巻陽彦、渡辺英徳

 

  この記事に関するお問い合わせは……
和田志保美 e-mail swada@cogsci.L.chiba-u.ac.jp
 

 
 
  

【図の解説】

(図1)は,垂直水平錯視の名で知られている錯視である.恐らく多くの読者は縦と横の長さが等しい,あるいは若干縦の方が長く感じられたに違いないが,この図では縦4cm横5cmになっている.
(図2)は,1998年に発表されたばかりの錯視である.多くの読者は平べったい方を長いと感じたでだろうが,実際は左が半径2の半円,右が半径3の円弧(中心角120゜)のため同じ長さである.
(図3.a)と(図3.b)の一番右のイラストは同じものである.
パラパラ漫画の要領でおじさんの顔がヌードになるように描かれた有名な一連の絵のうち,ちょうど真ん中のものをまねて書いたものが一番右である.なお,それ以外のイラストはすべて和田が勝手に描いたものである.
 


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